佐藤ひろたか税理士事務所 代表
佐藤 浩崇(さとう ひろたか)
● 誕生日/1969年4月14日・酉年・B型
※アポロが月面着陸した年に出生
● 出身地/東京都日野市
● 出身校/日野高校(柔道部)→早稲田大学社会科学部卒
● 資格/税理士:28歳から税理士試験に挑戦し、10年かかって37歳で粘り勝ち合格!!
● 趣味/草野球:グラウンドで大声をだして体を動かすことが楽しいです。
● 好きなもの/野球が好き!プロ野球から少年野球までなんでも見ます。特別にひいきの球団はなく、「野球」そのもののファンです!!
● 好きな言葉/(お互いに)誠実であること
● ちなみに/3人の子どもの父親です!長男(9歳)・長女(6歳)・次男(5歳)
「ズルいことはするな!」
それが、今も一緒に仕事をしている税理士の父の、昔からのクチぐせでした。
そのせいか私も子どもの頃からズルいことが大嫌い!
「まったく融通が利かないわねぇ(笑)」と、今でも母親から言われる程です。
運動が得意で、少年野球に柔道部と、割とスポーツに打ち込んだ学生時代でした。
2浪のすえ、ようやく入った大学を無事卒業し、親戚に教員が多かった事から、なんとなく大学受験予備校に就職。
※すぐに税理士を目指さなかったのは、父への反発心もあったと思います。
バブル崩壊後とはいえ、その残り香があった時期でしたので給料もよく、また同僚や上司にも恵まれ、それなりに充実したものでした。
しかし、ひたむきに自分の好きな道を勉強する理系の生徒の姿に触発され、「自分にしかできない仕事はないだろうか?」「このままで後悔はないのか?」と、考えはじめるようになったのです。自分の特技を仕事にしている、個人事業主ってカッコイイなぁと思いはじめたのもこの頃からです。
いざ、自分も特技を見つけて!と言っても、なかなかそんなものが見つかるわけもなく、これから(当時27歳)でも専門性を発揮できることといったら、資格しか思い当たりませんでした。
今思うと安易ですが、父が合格できたのであれば、オレだって!!…
という気持ちで税理士を志したのです。
当然、そんな安直な考えでは受かるわけもなく不合格。
次の年も。また次の年も、その次の年も不合格・・・
苦しかったです。元同僚達たちの出世に焦ったり、昼は税理士事務所に務めながら、朝晩と休みの日も勉強勉強の日々で、結婚したての妻とゆっくり過ごす事もできず。
ようやく合格したのが10年後。
焦り、苦しみ、迷い、妻や子ども達に寂しい思いをさせ、父のすごさに、気づかされ続けた10年でした・・・。
※合格を伝えた時の父の反応は薄いものでしたが、父の仲間の税理士先生から、「お父さん、喜んでいたぞ!」と言われたこと、嬉しかったです。
※仕事中に妻からの電話で合格を知ったのですが、さすがに、お互いに電話口で泣き合いました。
自分のすべてが試された10年。その10年があったからこそ今、事業主の皆さんがしてきた努力や苦労、涙、喜びを一部でも共感する事ができるのだと思います。
税理士という仕事柄、たくさんの事業主さんに出会ってきました。
事業主の皆さんは、サラリーマンと違い社会保障など何もありません。仕事がなくなっても、失業保険が出るわけでもなく、仕事で怪我をして休んでも労災が出るわけでもなく、有給休暇もなければ、育児休暇もない。仕事が与えられるわけでもないから、自ら受注すべく行動しなければならないし、額に汗をかいて体を動かしてナンボの世界。
もちろん病気で体が動かせなくなったら、収入の道は途絶えます。家族も路頭に迷うかもしれません。
オマケに仕事のために借金までするのです。サラリーマンだったら、ありえません。さらに、従業員の生活まで背負っています。
すべてが自己責任なのです。リスクだらけです。
政治家ですら責任を取らないような世の中で、これだけのリスクを背負い込み、責任を負っている職業はあるでしょうか?
そんなリスクだらけなわけですから、サラリーマンよりも政治家よりも、誰よりも、事業主の皆さんはもっともっと報われてよいと思うのです。
私も個人事業主の一人。
リスクも重々承知しているつもりです。「個人事業主」というのは、決して楽な仕事ではありませんが、ずっと先の将来、振り返った時に商売(税理士)をしていてよかった…と思いたいし、お客さんにもそう感じてほしい。
だからこそ、小規模事業者、特に個人事業主の方には、長く成功してほしいと感じるし、そんなお手伝いを微力ながらしていきたいと、心より願っています。
★ ご注意:何度も出て来る言葉ですが、私にはズルイことができません。ですので、そういったことを強制する方とは全くお付き合いをすることはできませんので、ご了承ください。